消防を色々と考えた末7年目で辞めたharakohです。
消防に向いてないと自分でも理解していたのに、実際に消防職員として6年と半年勤務して今に至ります。
前回「【消防地獄#1】大学時代音楽部で体力無いのに採用試験に受かってしまい地獄」
勉強は頑張っていた成果か、単に運が良かったのか消防になるための第3次まである内の最初の試験(筆記試験)を突破しました。
親への意地や反抗心で受けた試験だったので、本当は消防職員になってしまうのは訓練とか消防学校とか現場とか恐ろしくてしょうがないんです。
なので1次試験が受かったとしても、辞退するつもりでいました。
ですが、その方向は消えました。
それは一緒に消防の試験を受けた友人がいたからです。
同じく消防の試験を受けた同学部の友人
自分は【消防地獄#1】での触れましたが、おとなしく人と話すのが苦手な人間です。
そんな自分でも大学でできた数少ない、そして色な行動をした友人がいました。
もともと彼は消防を受けるつもりでいて、公務員講座にも申し込んで筋トレを欠かさず食事にまで気を付け、消防として将来をしっかりと考えている本当に真面目で良い人です。
それどころか家庭を助けるために、勉強を頑張って優秀な成績を収めると授業料が一部免除される奨学金制度に見事受かっている人です。(自分はそうではない・・・)
大学の途中の進路で消防を受けることがわかって、動機の質があまりに違えど一緒に受けることができることはうれしくて、試験に向けて情報交換や話し合いをいつものようにしていました。
当然自分は、優秀で堅実な彼が受かるものだと信じてなりませんでした。
彼が受かって、自分も運よく受かったけど、やっぱりよくよく考えると自分に消防厳しい。
だから申し訳ないけど辞退するよ。
ということになるとばかり思っていました。
自分を人生で一番恥じる
ですが現実は大きく違いました。彼は第1次試験に落ちてしまったのです。
それを聞いて自分は彼になんて言葉をかけていいかわかりませんでした。
あんなに努力していて、消防になるって言っていた彼が受からずに、親への反発やクソみたいな軽い気持ちで受けた自分が受かってしまった。
なんで努力している彼でなくて、甘ちゃんでボケっと生きている自分が受かってしまうのだと、神なんているのかって思いました。
そこで改めて気付きました。
自分が軽い気持ちで受けたその試験には、本気で受かろうと望んでいた人がいるということ。
そして自分がその枠を一つ奪ってしまったということ。
もし自分がいなければ彼が受かっていたかもしれない。そしてそれは他の人にも言えることでした。
そう気づいた瞬間、今まで人生で感じたことのない恥ずかしさと人へ申し訳なさでいっぱいになりました。
安い言葉でしか表現できませんが、今でもそのことが頭から離れないんです。
結果的に、自分は辞退せずに第2次試験を受ける決意をしました。
「彼の分まで自分が頑張ろう」なんて、決してカッコいい動機や理由なんかじゃないんです。
彼が得たかった合格を、彼の目の前で捨てることなんて出来ない。
そしてタルんだ甘い考えを持っていて、人の可能性を奪ってしまった自分への罰だと思って進むことを決意しました。
もちろん最後まで突破できる保証はなんてないけれど、やれるところまでやろうという思いで第2次の面接試験へ。
友人が試験に落ちた時は「神なんていない」とすら思っていましたが、今ではいるんだなぁとある種の確信めいたものがあります。
決して本人が願った方向のみに行くわけではありません。
その個人の気付きと成長に繋がるのであれば、たとえ厳しい地獄のような未来だったとしても、
本人の意志に反してその個人のために「いばらの道」を用意するのが神様やそういった存在ではないのかと。
それ次の試験や後々の経験を通して思うようになっていったことでした。
次回に続く。